1. ラウンドテーブルの概要

本事業では、少子高齢化、人口減少、価値観多様化といった我が国の課題を背景に、包摂的まち・くらしづくりに取り組む意義や目指すところについて理解を深めること、また、包摂的まち・くらしづくりの考えや有用性を外に開いていくことを目的に、様々な分野からの有識者を委員とし、ラウンドテーブルを開催しています。 2024年3月4日・8日に第1回目のラウンドテーブルを開催しました。本ページではその開催報告を掲載します。

2. 開催報告

ラウンドテーブルで話し合われた内容をグラフィックレコーディングとして公開します。また、会議録として、7つの論点ごとにまとめと委員の発言内容を掲載します。

・会議のまとめ(グラフィックレコーディング)

・会話録

どのような社会を目指すのか?あるいは、目指す社会像を議論することが有効か?

論点のまとめ

まちづくり・くらしづくりにおける包摂の必要性や、包摂の在り方について議論するためには、包摂や課題にフォーカスした議論の前に、その根幹となる「どのような未来社会を目指すのか」、という点から議論すべきであるとの意見が見られた。また目指す未来社会の方向性に関して、エクイティ、ジャスティス(人間社会の公平性)など、重要とされる観点について意見も出た。一方、日本では未来社会の目標に関する議論が未熟であり、地域の発展を通じて未来社会の在り方を検討する流れも考慮し進めることが有効であるとの意見があった。

委員の声

福原委員
福原委員

どういった未来社会をそれぞれの国が作っていくのかというところの、いわばその社会モデルがまず基本にあり、それに向けての包摂のあり方を議論しようという流れがあります。やはりきちんとした社会モデルの議論なんかと重ねながらの議論が必要だと思います。

南雲委員
南雲委員

エクイティ、人間社会の公平性という、国家モデルについての議論が抜けたままなので、ボトムアップ的に何を課題にすべきか、どこをターゲットとすべきかという議論が出てくる。だけど、収束点が見えてこない、というジレンマにどうしても向かって行ってしまうと思います。ぼこぼこと、色々やるのだけれども、最終的にどういう社会になったのかということがまとまらない。なので、やはり最終的にはこういう社会だという、エクイティとかジャスティスと言われるものの概念がどこかで打ち立っていないとまずいだろうなというのが、マクロな観点です。

福原委員
福原委員

日本でどのような社会を目指すかということについての議論はそれほど成熟していないのが現状なので、そういった中でこれをやるというのは結構きついと思っています。それで、むしろ、今回課題になっている地域のあり方をどういう風に作っていくのか、その積み重ねの中で社会のあり方も考えていくという、そういう流れがベストだという風に実は思っています。

福原委員
福原委員

もちろん、包摂の議論は、個々人の暮らし方や自立・自律の捉え方、家族や身近な社会(職場組織やコミュニティなど)とのつながり方、そして社会全体というか社会的な課題への向き合い方(公正や連帯)など、いくつかの次元を含んでいます。また、それぞれは相互に関連しています。それぞれの次元の議論を深めつつ、トータルに日本の包摂のあり方を考える必要があります。今回はコミュニティのあり方がメインテーマなので、この議論を深める中で、このあり方が個人の生き方にどのように波及するのかなど、議論を進めていければいいと思います。

近藤委員
近藤委員

時の内閣による、より具体的なたたき台がほしいです。


どのようなコミュニティ・母集団を想定して議論をするか(サイズ、地域、まちの個性など)?

論点のまとめ

まちの個性やコミュニティのサイズに関する議論から見ると、母集団のサイズやタイプ(数千人単位か都会か田舎かなど)によって課題が異なるため、具体的なターゲットを定めないと統一的な包摂の議論が難しい。それに重ねて、議論の前提として、コミュニティや地域ごとの個性を考慮する必要もある。違った視点としては、現代のグローバル化(ネットを通じて国境がないに等しい世界)やメタバース等のデジタル経済の進展を考えると、地域軸ではない多層的なコミュニティの存在についても認識することが重要であるとの意見があった。

委員の声

土屋委員
土屋委員

包摂を考える時のコミュニティのサイズみたいなのが、イメージを作ってから話をしないと、全体の包摂みたいなお話をされているところがあったり、コミュニティの話があったり、どこをターゲットに話をするのかが見えていないという気がしました。そこで、例えば、コミュニティの実証のところで、最後、中間法人がどうこうするという議論をするのであれば、数万人単位の母集団ではなくて、数千人単位の母集団とか、そのぐらいのイメージをお持ちか、それはどういう風に考えるのか、というところで、それぞれの母集団のサイズとか、性格によって課題が全く違う気がする。そこを議論するために、どういうものを集団として議論するべきなのかというところ。そもそも、どういう風にそれをカテゴライズするかというところから議論を始めないと、皆がバラバラに喋っていて、まとまりがつかないような気がする。

本村先生
本村先生

平均的には4、5000世帯ですので、住民スケールとしては、多くて1万人前後といったあたりが、今の実証地域のサイズ感になります。令和7年度、8年度になると、戸建て団地からさらに他の一般市街地まで広げるということになりますので、そうすると、例えば柏の葉のような実証実験が進んでいる地域ですとか、我々も稲毛海岸の辺りでは、URの団地のところのイベントといったフィールドをコンソーシアムでは扱っていますので、パターンとしてスケールさせれば、およそ数十万サイズのデータ収集は可能になるイメージで捉えております。

南雲委員
南雲委員

コミュニティのサイズの議論が出ましたが、ウェルビーイングの方から見ていると、人口規模とか人口密度ではあまり差が出ないのですね。だけど、都会と田舎みたいなところで違いが出てくる。都会なのか田舎なのかというところのスペクトルを取った時に、真ん中ぐらいにベッドタウンがあるわけですけども、これによってまちの形、個性が随分と分かれているなという感じ。ウェルビーイングの因子の分布が全部違ってくるみたいな感じなのですね。なので、そのまちのタイプをどのくらい今回のポートフォリオの中に入れて考えるのかも決めた上で、コミュニティa、b、cみたいな形でやっていくと、背景情報からうまくドリルダウンする形にできるのではないかなという気はします。

南雲委員
南雲委員

やはり、まちの個性みたいなものがあって、その中のコミュニティという風に攻めていかないと、背景情報を抜いて、人口規模だけでいくと、ちょっとなんか抜けたところが出てくる可能性もあり得る気がしています。

近藤委員
近藤委員

グローバル化しているなかで、日本国内だけで議論していると思わぬところで足がすくわれるのではないか。周辺の国と一緒に解決していかなければならない。

近藤委員
近藤委員

地域という単位も、地域共生社会という概念が出た時と今は違う。特にコロナで拡大したオンライン交流技術。すでにメタバースの中で1日の半分を過ごしている人もいる。急速に仮想コミュニティでの経済活動が広がっています。物理的地域にどれだけこだわるかは、考えどころです。居住する物理的なコミュニティだけをその単位として良くしようとしても、救われない人は出てきます。住んでいる学区の人とはかかわりたくなないこどもも多い。フリースクールもいっぱいできています。不登校の子が増えて、そもそも不登校をネガティブに捉えるという視点自体がおかしいのではないかという議論も出てきていますので、学校コミュニティだけに固執していると、立ち行かなくなる子が出てくる。コミュニティ、地域という概念はより多層的になったと思います。


マクロ(日本社会全体)の議論とミクロ(地域の課題解決)の議論とをどのような順序で取り扱うとよいか?

論点のまとめ

マクロ(日本社会全体)的な視点から始めつつも、ミクロ(個人単位)、メゾ(集団や地域)、マクロの3段階での整合性を重視し、地域の特性や条件をマクロに意味づける必要がある。ミクロの視点では、現場のインタラクティブな取り組みや地域ごとの生活圏を重視しつつ、個人単位での議論も必要である。また、憲法や社会のルールに関する解釈を見直し、時代に合わせて捉え直す必要性もあるのではないか、等の意見が得られた。

委員の声

本村先生
本村先生

サイズを定量的にというよりは、ミクロで見ている場合と、そのミクロが集合したメゾレベルで見るケースと、それが地域としての特徴を表すという県単位のようなレベルだと、これもマクロ的な見方になってしまうので、指標の議論ではミクロ、メゾ、マクロというように、今どの話をしているのかを必ずその3段階に割り当てて分離をして議論するようにしています。それで、結果それが縦に繋がってくれば整合性は取れると思うのですが、マクロな議論が独走し、現実の人に落ちてこなくなってしまうという懸念は確かにしておりまして、メゾからマクロをどういう風にちゃんと連結するかというところに、ちゃんと地域の特性とか、南雲さんがご指摘されたような条件部をマクロに意味付けることが必要かなと思っております。

鈴木委員
鈴木委員

現場で動いていると、どちらかというとミクロの話になります。現場では、制度からははずれてしまうような人たちをサポートしています。例えば、介護保険を受けられるレベルではないけど、それでも日常生活が大変な人たちの、インフォーマルなサポートです。ですが、それは現在の制度によってそういう人が生まれているだけなので、制度が変わればそういう人が少なくなるし、制度がそのままだったらインフォーマルなサポートが必要な人が増え続けてきます。だから、そこにはインタラクティブなところがあるかと思います。

近藤委員
近藤委員

地域というコミュニティが、生活圏という意味合いであれば、地域でいいです。皆が生活している場を単位にすべきだし、そこを議論の中心に据えるのがいいと思います。社会全体はその集合体です。

近藤委員
近藤委員

よい生き方とは何か、良い社会とは何か、という問いはアリストテレスの時代からずっと考えられてきていることですので、今になって急に普遍的な結論が出るってわけでもないはずです。今の時代、近い未来の時代のコミュニティを想定して、そこを良くするには、という継続的な議論をするしかない。物理的に近接したコミュニティに加えて、仮想的な場のコミュニティもよくしていく必要がある。週末は別の町の友達とバーチャル空間で一緒に暮らす、みたいなことも起きてくると思います。一般論としては1人ひとりが、そこで生きていていいのだな、と思えるような場があるとか、多様なものが共存するような寛容性の高い社会といえる。

近藤委員
近藤委員

憲法解釈を見直すことも必要。今の社会の中で今日的にそれぞれの条文をどう捉えるべきか、のような議論をしていく必要。例えば、憲法25条は「健康で文化的な最低限度の生活」とか色々書いてありますが、そもそも、健康の定義がない。健康の定義もないし、文化という定義もなくて、そのあたりの解釈が時代によって変わってくるのだろうと思います。

近藤委員
近藤委員

憲法19条も、個の選択の自由という、ヨーロッパ的な形で権利として捉えられているのですけれども、日本に住む人の多くは自分とか自分らしさの認識が薄く、周りによって自分が定義づけられていると感じる医人が多いように思います。禅でいわれるように、我を失くすことが是とされます。世界と溶け合う・調和する中で自分が生まれる、みたいなことが言われます。そういう、新たなウェルビーイングの形を踏まえた憲法解釈が可能では。たとえば、京都大学の内田由紀子さんたちは場のウェルビーイングの概念化と測定を目指しています。


包摂的まちづくり・くらしづくりに向けて、どのような課題解決のアプローチが必要か?(コミュニティマネジメント、公共空間のデザイン・・・)

論点のまとめ

本課題におけるアプローチをするにあたり、自分らしさと、それを取り巻く地域の人間関係、コミュニティ、公共空間といった階層ごとのレイヤー感を持つことが必要である。ソフト的な観点において、コミュニティ形成と多様な主体との連携、地域のニーズに合わせた支援、多世代交流と相互理解の促進、ケアする側とされる側のエンパワーメント、包摂的な社会に向けた意識改革が必要である。ハード的な観点からは、公共空間のデザインと利活用、顔の見える関係をつくるリモート技術の有効活用と情報共有が必要である、等の意見が得られた。

委員の声

福原委員
福原委員

地域やコミュニティのにぎわいや共助的な支援を豊かにしていくにあたって、中間支援組織の役割を重視したコミュニティ・オーガナイゼーション、地域住民の当事者性を重視したコミュニティ・ディベロップメントなどの議論がある。また、高齢者やひきこもりの人たち、障がいのある方たちの生活ニーズに応えるためのアプローチとして、コミュニティ・ケアという取り組みもある。さらに、SNSを利用した緩やかでオープンなコミュニティもある。それぞれのコミュニティの事情にあわせて、どのような組織形態・支援形態をもつコミュニティをつくるのがよいのか。これは、とても興味深い課題だろう。さらに、パートナーとしての自治体の政策立案能力や感性もまた問われると思う。

吉村委員
吉村委員

どんな社会を目指すのかという発言、それもすごく大事だと思うのですが、その先でどんな都市の形にしていくのか、もしくはどんな都市のデザインにしていくのかというところまで、建築家として興味があります。そういうことがまず1点目。また、僕はバルセロナに20年住んでおりましたので、今日のテーマである生活者目線からというところでも少し貢献できるかなと思っております。と言うのも、バルセロナはすごく包摂的な社会が実現されていると思うからです。皆さんご存じのように、スペインは移民もすごく多くて、色々な考え方を持った方々が社会に参加したり、都市計画やまちづくりに参加できる仕組みがあります。それが何故出来ているのかというと、ひとつには、都市の構造というか公共空間(パブリックスペース)をとても上手く活用していることが挙げられます。いっぽう日本では、いままで家のなかは一生懸命設計したり、デザインしてきたと思うのですが、家から一歩外へ出たところに広がる都市のパブリックスペースをなかなか上手く活用してこなかったという感じを持っています。

南雲委員
南雲委員

自分らしさという部分と、それを取り巻く地域の人間関係、コミュニティ、その外に生活の場としての公共空間があると思う。そのため、そのレイヤー感を持つことが必要です。僕らの場合もその3層構造、4層構造なのですが、実際には自分が真ん中にいて、その次のレイヤー(玉ねぎの外側部分)が地域のコミュニティとその外側が生活環境、都市機能とか都市計画、最後は自然環境という形でデータをとっている。なので、今回コミュニティと言った時に、その真ん中から2番目のところにフォーカスが当たっていますけれども、そのコミュニティの性格をある程度外部環境として決めてしまっている公共空間とか自然環境とか、都市の利便性みたいなものがあって、実は関係深い。というところを切り離さないようにするということが大切かなという風に思います。

本村先生
本村先生

ウォーカブルという方向性は大賛成のスタンスでございます。具体的には、例えば空き家が出てしまった時に、それをコミュニティスペースの形で改築し、そこでこどもたちが集まることや地域のイベントを実施するという取り組みがすでに行われていまして、これをさらに発展させて、キッチンカーイベントの展開などが計画されております。公共スペースにすることで、そこに来ていただいた方が予約をしたり、参加した時の履歴が残ったりすることで、実はデジタル化と表裏一体になっていると考えています。プライベート空間でのデータ収集より、公共スペースの方が、見守りの観点や防犯の観点でも社会的受容性が高いということもあり、公共スペースにまず外出してもらう、出てきてもらう、それによって健康指標の向上も合わせて見ていくということも埋め込まれています。問題は、歩ける距離をどの辺りに設定して、コミュニティスペース間の移動をさらにどうするかといった、2次的な利用をするモビリティのような話との有機的な取り組みということになろうかと思いますね。あと、イベント的にもウォーキングイベントというのが、やはり非常に重要な接点になっていまして、まち歩きで、そこで多世代の交流を促したり、その地域に対するいいところを見直すような形になったりという点でも、ウォーキングというのは非常にプロジェクトの重要な観点になり、そこでの歩数をどう図るかとかですね。ウォーキングイベント中に写真を撮ってデジタルアルバムを作るというようなことで、デジタル化も浸透する期待を持っております。

近藤委員
近藤委員

具体的なアイデアのレベルの話でしょうか。JST(国立研究開発法人科学技術振興機構)のRISTEX(社会技術研究開発センター)で「どこでもドア」モデルという言葉を使って、地域とオンラインのハイブリッド型の共生コミュニティづくりを目指しています。困り事を抱えた方に出会う場、つまり包摂の入り口となる「ドア」は色々あります。出会ったときに放置せず、つないでいく責任を果たすことが必要です。例えば医療・診療の場でも出会いますが、今の医療は包摂する、医療者がそこに積極的にかかわれる仕組みになっていない。例えば、できるだけ人と関わらず、1人でひっそりと暮らすことで、ギリギリ自分と生活の安定を保っている方がいます。路上生活している方にも多いと思うのですが、そういう方は当然病院にも来ない。けれども、路上で意識を失って倒れた場合、救急車で病院に運ばれて、医療者に出会う。ところが病院では病気だけ対応して返す。退院して、また路上に戻されれば同じことの繰り返しです。せっかく出会った時を包摂の入口にする仕組みをつくりたい。社会が複雑化して専門職が増えると、専門以外の“余計な”おせっかいをしてはいけないという空気が濃くなります。その道の専門家がいるので、私がすべきではない、みたいなことです。医療者も医療以外はやってはいけないように感じてしまいがちです。なので、それぞれのドアを持っている人たちが連携して面的に支えていく仕組みが必要と思って、デジタル技術を使いながら開発しています。医療を起点としたそういう活動のことを「社会的処方」と言います。最近では医療者でない様々な人たちが社会的処方の仕組みづくりを進めています。たとえば、銭湯の番頭さんとか芸術家の皆さんです。「地域包括ケア」という言葉で目指している世界と同じです。地域包括支援センターの子ども版の、「こども家庭センター」が設置されてきていますが、全世代型に地域包括ケアを広げていった先に共生社会があります。そのための具体的なツールの開発やコンセプトの統一、実践知の蓄積が必要です。

近藤委員
近藤委員

地域包括ケアシステムの一部として活用されている地域ケア会議では、専門職どうしの顔の見える場作りが進められていますが、コロナで対面での会議ができなくなりました。そこでデジタル化が進んできています。私たちのRISTEXのプロジェクトでは、KYOTO SCOPEという、主に女性を対象としたトラウマ・インフォームドケアに向けたハイブリッド環境での学びあいのコミュニティづくりが進められています。医療でも福祉でも、ケアの現場で専門職が相談に来た人の事情への理解や配慮が不十分なために、包摂するはずのコミュニケーションがその人を一層孤立化させてしまうということがあります。そうしないためのことを学びあう場づくりです。学び合いの中で顔の見える関係ができます。すると、ケアの幅が広がります。その地域の中で困りごとを抱えた方に出会った時に、そこでドアを開けて入ってきてくれた時に、自分にはできないけど、そういえばあの人ならできそう、となって、そこの人に紹介して繋げる、みたいに、ケアする側もエンパワーされる仕組みになります。相談に来た人の個人の情報も安全にみんなで共有して、個別の状況に合わせた支援法を提案したり、環境作りを進めることも技術的には可能でしょう。包摂やヘルスケアの個別化の仕組みです。僕らはこれをプレシジョン・パブリックヘルスと言っています。個人情報保護のコストやメリットの観点で、今のところ僕らのプロジェクトでは、相談に来た人の個人情報までの共有はしていません。


まちづくり・くらしづくりの対象として誰(どのような属性)をターゲットにするか?(外国人、女性・・・)

論点のまとめ

増加する外国人労働者への対応は、日本社会にとって重要な課題であること、時間的貧困などの女性が抱える課題はウェルビーイングに大きく影響すること、外国人、女性以外にも、高齢者など様々な属性の人が困難を抱えており、状況を複合的に捉えることが重要である等の意見が得られた。また、効率的な支援を行うためには、効果が高い人から支援を始めるという視点も重要であるとの示唆があった。

委員の声

鈴木委員
鈴木委員

深刻な課題は、外国人の受け入れです。昨年、社人研が発表した将来人口予測は、外国人をこれから受け入れていくので、少子化が加速しているのに、前回の予測から人口が減らないことになっている。国民としては、外国人を受け入れる議論していないのに、外国人がどんどん増えていくストーリーになっている。そうすると、地域の中では今から外国人が増えたときのための練習をしていく必要があると思っています。

関委員
関委員

深刻な問題と言うと、色々もちろんあると思うのですが、やはり、外国人労働者の問題ですよね。技能実習制制度も変わりつつありますけども、これは本当に社会として真剣に向き合わなきゃいけない話で、最近の会議でも色々と議論され、私も参加しています。例えばどういう現実があるかと言うと、外国人の方の親子でお母さんが病にかかって病院に行くのだけども、日本の病院で自分の病状を話すことができない。それで、こどもは学校に行って日本語を習っているので、こどもがお母さんの通訳のために一緒についていく、といった事例がよくあるわけですね。こういった問題を、日本では割と美談だと捉えられがちだけれども、それは甚だしい人権侵害あるいは児童虐待じゃないかという、人権の視点から見た議論があるわけです。そんな議論があって、そういう観点からもこの問題を考えていかないと、外国人労働者との向き合い方は、日本社会で大きくスタンスを変えていかないといけない、1つの例だというような気がします。

関委員
本村先生

今の研究計画の中には外国人労働者というのがまだ入ってなく、障がい者の方の就労持続支援のようなところからスタートして、そこのノウハウがもしかしたら外国人労働者支援の形に展開できるかというような、行ったり来たりしながら、問題としては、今回はもう少し広い範囲でも構わないと個人的には考えております。どうもありがとうございます。

南雲委員
南雲委員

男性社会からはなかなか見えない、やはり、女性へのヒートの当て方というのも、大きなセグメントとしてはやはりあり、女性の時間貧困の問題というのが、ウェルビーイングにえらく影響しているというのが、実感としてもデータとしても出ているのです。狭い世界で、ものすごいヒートが当たっている障がい者みたいのもあるのですが、もう少し広く大きなセグメントしての女性という当て方も考えてもいいかなという風に思います。

近藤委員
近藤委員

単一の要素で定義付けられる、社会的に弱い立場にある人、と捉えることはできると思います。外国人であるとか、女性であるとか。しかし生活の困難さはもっと複合的なもので決まってくるので、困っているかが見えにくいことのほうが多いでしょう。まさかこの人がという人が、実は閉じこもっていたり、孤立していたり、一見分からないことが多い。優先すべき支援対象者を選ぶ方法には2つあります。まず、例えば、人々を、その暮らしぶりデータを使って、本村先生のPLSA(確率的潜在意味解析)のようなアプローチでセグメント化して理解し、各セグメントにあう支援の方法を検討してマッチングさせる仕組みです。生活保護受給者の方々のデータで個別化したケアの仕組みづくりをしています。もう1つは、すでに何らかのケアのやり方があって、それを誰に当てはめようかを考えている場合に使う方法です。そのケアの効果が高い人やリスクが高い人をデータから見つけ出して、特定するのです。医療では、長らく、病気のリスクが高い人医優先して治療を施してきました。しかし、結局その治療が効かないことも多々あるので、効率が悪い。であれば、効果が高い人からまずやっていきましょうかというアイデアです。当教室の井上浩輔准教授が提案している、ハイベネフィットアプローチというものです。今のところ、医療的なケアを対象とした実証を進めているようですが、福祉的な活動にも十分応用可能です。個人だけじゃなくてコミュニティ単位でやることもできると思います。

近藤委員
近藤委員

最近、私たちの周りで「おせっかい」がキーワードとなっています。専門性を超えて、気になる人に自分ができるおせっかいをする、という状況をどう広げていくかを議論しています。いろんなケアが専門化したので、自分が、自分の専門以外のことやってはいけないという固定観念を捨てる必要があります。私の住んでいる町でも「毎日のように、小学生が中年男性に声をかけられる事案が発生しました」というメールが来ます。それを見たら、僕らは小学生に声をかけられない。声をかけて、地域の子供たちを見守りたいけど、それが阻害されている。そのおせっかいを促す、ファシリテートする人材がほしいのです。例えば、コミュニティナーシングという活動を進めている人たちがいます。病院で患者さんをケアするのではなく、地域の人たちが、互いにおせっかい焼いて支え合うことで、健康づくりを進めていく、そういう活動を住民さんたちが作るのをファシリテートする活動です。島根県の雲南市でCNCという会社がすすめています。そういう企業は増えてほしい。保健師の地区担当活動と何が違うのか、という意見があります。オーバーラップする部分は当然ありますが、地区担当の行政保健師だけでは足りません。プライベートカンパニーが行うことの意義は大きい。行政と異なり、企業は成果を上げないと倒産しますので、本気度が違います。また、行政保健師は今、健診業務等が多忙で、地区担当の業務に十分コミットできていない場合も多いようです。保健師と企業とが連携して、地域のおせっかいを促していく、そこにお金が回る仕組みが必要かなと思います。


どのようなミクロの地域課題に着目し、どのような観点で「包摂性」というテーマを捉えるとよいか?(担い手不足、世代間分断、寛容性、多様性、自律性・・・)

論点のまとめ

高齢化や地域コミュニティの担い手不足と世代間分断などの課題に対して、高齢者の社会参加と多世代交流、地域住民の主体的な課題解決と寛容性、地域共生などの観点で捉えることも重要である。個別の単一の課題に対する解決策だけではなく、地域特性や課題に応じた柔軟なアプローチや課題のパッケージ化が必要であり、包摂的な社会の実現に向けた、ウェルビーイングを高めることに寄与する地域住民の主体的な取り組み、おせっかい(アクションを起こすファシリテータ)と多様な主体との協働といった観点も重要である。

委員の声

南雲委員
南雲委員

浜松市の例で言うと天竜区というのは人間関係が非常に地域の共助の社会みたいなものが残っているので、そこが生活の利便性を補う形でウェルビーイングを高めているということがデータから分かったという話。包摂性というところが何に帰着するのかと言った時に、僕らの場合はウェルビーイングから入っているので、ウェルビーイングの因子としての地域への愛着とか包摂性とか多様性という風に位置付けているので、そういう議論をしているという感じです。

本村先生
本村先生

ネオポリスの事例。根っこには関わられている担い手の高齢化というのが明確にありまして、主役となっていた人の属人性が高すぎることで若年世代に受け継げていない。うまくいっているケースは、こどもの頃そこで育った方が、自分の小学校がなくなってしまうなど、結構な危機感を持ってこども会をやられていたお母さんが、その地域コミュニティの担い手としてバトンを受け継ぐような形になってきている。その時の問題は、今までの仕組みが古く、若いお母さんの感覚にやはり合わないということから、積極的にLINEを使ったり、デジタル化を進めたり、新しいやり方で取り組まれている方が出てきています。そういう状況の中でも、圧倒的にやはりリソース不足なのですね。ホームページ作り1つとっても、もうものすごい勢いでなんか自己犠牲を払われているようなところがありまして、結果、もっといろいろな人に関わってもらう必要があるというところで、多様性が生まれきていた。色々なメンバー、関係人口や、ある程度のアルバイトさんにお願いすという形をとると、今までボランティアで求心力もっていたモチベーションが違う、その通りにはいかないというようなことで、自ずとリソースが足りないので、メンバーが多様になり、その多様なメンバーで回すためにというところがありました。

福原委員
福原委員

広島市では、元気な高齢の方は社会の大切な支え手であり、彼らの働く場を地域につくることによって地域課題の解決と当事者の生きがいづくりが生まれるとして、2014年から「協同労働」促進事業を実施しています。全国では地域住民の無償ボランティア活動によって地域課題を解決しようとする試みがいくつか実施されてきましたが、これは長続きしないケースが多い。広島市の事業では少し収益を得られるような仕組みに組み換え、また当事者の自律と豊かな関係づくりの観点から協同労働という手法を取り入れています。市は事業組織の立ち上げ資金をサポートし、事業運営について地元の労働者協同組合組織からノウハウを学びながら取り組みを進め、この事業が広がりをみせています。地域課題や高齢者の課題だけでなく、地域のこどもの課題、ちょっとした農業に取り組むことによるつながりづくりという事例もあります。広島市は、2022年からは支援対象者の年齢制限を撤廃して、地域課題解決を収益事業として取り組む協同労働組織をさらに広げていこうとしています。

福原委員
福原委員

大阪府箕面市の北芝では、地域の人たちの日頃の困りごとは「まちづくりのシーズ」と位置付け、地元住民が立ち上げたまちづくりNPOや自治会・地元事業組織などが一体となって、地域住民の「つぶやき拾い」に取り組んできました。地域内にある小さな広場やコミュニティスペースでの歓談での「こんなんあったらええのにな」という話を拾い集め、それを小さな事業のかたちに置き換えていく取り組みです。たとえば、こどもたちを中心に利用されている地域通貨「まーぶ」(学び遊ぶを意味する)は、夏休みなどの長期休み期間のひとり親の子どもたちの昼ごはんを、子どもたちが地域活動(地域祭りのお手伝いやNPOのチラシ配布、高齢者「憩いの家」の訪問など)に参加することによって得た「まーぶ」を使って食べられるようにする取り組みから始まりました。これは、子どもはもちろん、働くひとり親のお母さん、高齢者の方たち、それぞれの困りごとの解決につながっています。今では、この地域通貨はその地域内の子ども・大人だけでなく広く活用されるようになっています。見方を変えれば、これは一つの世代間交流の手法であり、こどもたちがおとなになるための学びの場(社会に役立つことをすることが経済活動の基本)にもなっています。これによって、コミュニティの構成員の顔の見える関係、困った時に「困っている」と言える関係づくりにもつながっています。

鈴木委員
鈴木委員

寛容性の話ですが、高齢でまだ元気な人たちが、若い人たちがやろうとすることの邪魔をすることがあります。まだまだ俺たちがやるから、お前がやるのはおかしい、やるな、みたいなことを何件か聞いたことがあります。それが、寛容性が低い事例だと思います。一方で、そうならずにうまくいくところもあります。そこでは、高齢者がまだ元気で活動もしているのですが、見ても何も言わない。二極化されている。そういう部分をどう見定めて、システム化するかは非常に難しいですが、事例を集めていくと、見つけられるものがあるのではないかとも思います。

鈴木委員
鈴木委員

地域には本当に様々な課題があり、課題を解決していくと、次の課題が見えてくるという循環なのです。課題がそれぞれ原因と結果が循環的なので、1つの課題に対して他の課題も含めてパッケージで考えなければいけない難しさがあります。逆にそれが課題解決を難しくしています。例えば、空き家問題ですが、空き家そのものがあることが課題はありますが、その地域は高齢化してきて、近くのショッピングセンターや商店街が衰退するから、その理由から人が減っていく。人が減っていくと、バス便がなくなってきて、そういうところにはもう住めないとなる。このように様々なことが課題として循環する。どの課題が重要かというようり、パッケージとしての課題設定もあり得るのではないかと考えています。

近藤委員
近藤委員

地域の健康づくりの専門家がすべき最も重要なタスクは、住民同士の助け合い、まちづくりのファシリテートであって、実際のケアのプロバイダーではないということです。「外の人」がケアを提供してしまうと、住民は思考停止します。その専門職がいなくなったら何もできなくなります。JICAのODA(政府開発援助)や青年海外協力隊、地域おこし協力隊などの「支援」活動でも、この課題感は大きいのではないでしょうか。隊員が地域からいなくなったら元に戻ってしまうという問題。その地域で主体的にみんなが元気になることをファシリテートできる人が大切です。属人的でない仕組みづくりがゴールです。


まちづくり・くらしづくりに、デジタルをどのように活用していくべきか?

論点のまとめ

人間関係や地域コミュニティの大切さを忘れず、人間中心のまちづくりを進めることが重要である。またベースとして、スマートフォンなどのデジタルサービスにアクセスできる環境整備が重要であり、情報格差の解消や多様性への配慮など、誰もが取り残されない社会の実現に向けた取り組みが必要である。アナログの世界で活躍しづらかった人など潜在力がある方の活躍の場の掘り起こしにもAIやメタバースなどのデジタルは有効活用できるとの意見がみられた。

委員の声

吉村委員
吉村委員

やはり都市とか社会は人間が創り出すものだと思います。だからこそ、なんでもかんでもAIに全て任せてしまうのではなくて、我々人間が創るということを中心に置いたうえで、目と手だけでやっていては手間が掛かり過ぎてしまうところなどにピンポイントでテクノロジーやAIを活用していくという方向性が良いのではと思ってお聞きしておりました。

鈴木委員
鈴木委員

自治会、町内会はいまや高齢化していますが、特に若い人たちは、そこに入りたくないとか、そもそもそういう会が嫌いというか、思っている人たちが多い。そうすると、自治会の協力を得ながら活動しようとすると、その自治会とは関係ない人たちとは、変な関係ができてしまいます。自治会との密な関係を持つということ自体は考えどころです。そこは力加減とか匙加減とか、色々な調整が必要なので、その部分をAIやデジタルでできるのかな、というのは最初に思ったことです。そして、地域や場所によってそのような力学は違うので、そこをどう丁寧にデジタルに読み込めるのかというのは難しいだろうなとは思っています。

福原委員
福原委員

ICT、AI、デジタル機器などが、今後の包摂的なまちづくりにもっと役立つようになることに期待をしています。その上でひとつ気になったことは、自治体がまちづくりや住民サービスの充実に取り組もうとしても、地方の自治体においては、財政上の問題や個人情報の取り扱いのむずかしさなどを理由に、そもそも通信環境をきちんと整えていないところがあります。とりわけ、自治体の本庁では一定の環境は整っているが、住民に身近な出先機関においてはそれが不十分といったところを多く見てきました。デジタル活用の最先端の開発はもちろん大事ですが、現実の日本社会にあるこうしたデジタル格差にも目を向けていく必要があると思います。

近藤委員
近藤委員

今までアナログの世界では活躍しづらかった人を、デジタル技術で活躍できるようにするというのは、まだまだ掘り起こせる部分ではないかと思います。OriHime(ロボット)で、家でベッドの上で生活している人が働けるようになったことは象徴的です。デジタル活用を進めるうえで、全ての人がデジタルサービスにアクセスできるというところは大事な条件です。

・議事録全文

包摂的まち・くらしづくりラウンドテーブル(第一回)の議事全文についてはこちら

包摂的まち・くらしづくり_ラウンドテーブル第1回(1).pdf
包摂的まち・くらしづくり_ラウンドテーブル第1回(2).pdf